「賭する人」#5 街の履歴

競輪場の近くに住む友人が、近所に良いたこ焼き屋を見つけたと知らせてくれた。
大阪ほどではないが、僕の生まれ育った鳥取にも「粉もん文化」と呼ばれるものはあって、気軽に立ち寄れるたこ焼き屋やお好み焼き屋がいくつもあった。
学校帰りに立ち寄っては、夕飯までのつなぎにたこ焼きかうどんを食べたものだ。どの店も学生の微々たる小遣いでも、充分に満足させてくれるだけの量を提供してくれる良い店だった。
立川で暮らして10年になるが、未だに馴染みの粉もん屋を見つけられないでいる。もう、粉もん文化圏とは遠く離れてしまったのだからと諦めた方がいいのかもしれないが、胃袋はそう簡単に言うことを聞いてくれるものではなく、まだどこかにあるはずだと一抹の期待を胸に(いや、腹に)今日も近所を徘徊してしまう。もちろん、お好み焼屋もうどん屋も近所にあることはある。だが、お好み焼き屋は1000円でお釣りが来ないし、うどん屋はどこもかしこもコシだけを追い求めた讃岐風のもの一辺倒だ。
馴染みの店というものは、どこか遠くの街にあったのではいけない。「お好み焼き屋とうどん屋は近所の店が一番うまい」と言い切りたいくらい、味と同等に気軽に行けるということが重要だ。
と、粉もんについては思うところがあり過ぎて、ついつい前置きが長くなってしまった。
ところが先日ひょんなことから、ついに馴染みにしたいたこ焼き屋を見つけることができたのだった。

酷暑。競輪場にはほとんど人がいない。
と思ったのだがそうではなく、エアコンが効いた涼しい屋内エリアにはいつもよりたくさんの人がいて大いに賑わっていた。
そこで社長と呼ばれるバングラデッシュ人の男性に、レース展開を教えていたのがたかしさん(仮名)だった。
社長は流暢な日本語を話し、たかしさんに次のレースの本命は誰なのか聞いている。そして本命がわかると、その選手を中心に、マークカードに躊躇なくたくさん予想を書き込む。
たくさんのパターンの車券を買えば、もちろんそれだけ当たる確率は高くなる。しかしその中のひとつが当たったとしても、配当が高くなければ、つぎ込んだ金額の方が多くなり、元が取れないことになる。
社長は競輪を始めてまだ3ヶ月ほどだそうで、その数撃ちゃ当たる予想方式についつい、選手を覚えたり、並びを覚えたりしないんですか?と余計なことを聞くと、「詳しくなっちゃうと大穴を買わなくなるでしょ」と飄々と答えて窓口へ向かった。
「すげえ買い方するよな」とたかしさんは呆れた顔で、車券を買う社長の後ろ姿を見ながら呟く。

たかしさんは競輪を始めて50年以上になるベテランだ。始めたきっかけは、家から競輪場が近かったという簡単なものだった。
小平にあるブリヂストンに勤めて、週末になると同僚と遊びに来たそうだ。20歳からブリヂストンで働き始めて、定年まで勤め上げた。
ここにいる多くの人と同じく、たかしさんも定年後の自由な時間を、競輪をして楽しむひとりなのかと尋ねると、「いや、今は家の仕事をやってるよ」と思わぬ返事が返ってきた。それも「ここの裏でたこ焼き屋をやってるんだよ」と言うのだから驚きは重なり、すぐに以前友人からLINEで送られてきたお店の外観写真を見せると、果たしてそこがたかしさんのお店だった。

後日、改めて友人とそのお店を訪ねると、たかしさんはエプロンを巻き、奥様とふたりカウンターの中に立っていた。
お店はカウンター6席ほどの小さなもので、僕らが訪れた時には満席だった。店内では扇風機が片隅にひとつ、ささやかに首を振っているだけで、その設備だけでは、この酷暑に加えて鉄板が発する熱を解消することは到底不可能だった。そんな中、奥様は熱々の鉄板を前に、黙々とたこ焼きを転がしている。
僕らはひとまず飲み物だけを受け取り、向かいの公園で席が空くのを待つ。公園には「曙第5公園」という看板が立っている。
しばらくすると家族連れが出てきて、公園脇に止めたワゴンに乗って帰っていく。ナンバーを見ると品川と書かれている。
入れ替わりで店内に入り品書きを見ると、たこ焼き3ケ100円とある。焼きそばとお好み焼きは各300円だ。それだけでまだ食べてもいないのに、また来ようという気持ちがふつふつと湧いてくる。
注文の品を待つ間、たかしさんに家族連れのことを聞いてみると、お父さんが昔この近所に住んでいて、中学校の帰りによくたこ焼きを食べていたそうだ。同窓会で久しぶりに立川に来たので、その前に寄ってくれたということだった。
この心温まる情報に、もうここを馴染みの店にしようという気持ちはほぼ固まっていた。
出てきた品は、どれもいたって普通の味だった。でもそれでいい。珍しくもなく、おしゃれでもない、気合の入っていない食べ物の良さというものがある。ホテルで出される同窓会の料理より、まるで家で出されたようなこのたこ焼きを忘れられない人がいる。

高松町のこのエリアを散策するのは以前から好きだった。狭い路地、増築された家々から、街の変遷が想像できた。
「ここは高松町じゃなくて、曙町よ」
カウンターのいちばん端に座る女性の指摘に驚きながらも、公園に立っていた看板を思い出す。しかし曙町と言えば、立川駅周辺のことだとばかり思っていたので、駅からずいぶん離れたここが曙町と言われてもピンとこない。
「昔はこの辺、軍の払い下げの家が建っててね、みんなこの辺のことをシザイショウて呼んでたわよね、たかしくん」
そう話す女性は、たかしさんの中学校の同級生で、この店の常連さんだった。
「そう、この辺一帯はみんな4軒長屋だったんだよ、ここは5列目の2棟目だったから、確か5−2って呼ばれてたかな」
おふたりの話によれば、戦後すぐにこの一帯の長屋に人々が住み始めた。その経緯は確かではないが、勝手に住み始めたんじゃないの?とふたりは言う。
「うちの親父なんて、隣が空いてるからって、親戚を呼び寄せたらしいから」とたかしさんが言うと、「立川駅前だって、戦後の混乱に乗じて勝手に家や店を建てた人たちがほとんどでしょ」と常連さんが答える。
「そう言えば、この辺で有名な都会議員だった、ほら本屋さんたくさん持ってるあの議員。今の先代になる人なんだけど、あの人はこの辺じゃ都会議員じゃなくて、土地買い議員って呼ばれてたわよね」と話はディープに脱線する。
ちなみにシザイショウという呼び名は、ここがかつて軍馬を扱う獣医資材廠という場所だったことに由来するそうだ。

話を戻すと、勝手に住み始めた長屋だったが、しばらくすると軍から払い下げになり、住み続けるには買い取らなくてはいけなくなる。つまり払い下げになるまでは大家もおらず、家賃もかからなかったということらしい。そんなことがあるのだろうかと今でも半信半疑だが、たかしさんのご両親は払い下げになったこの家を買うために、月賦で支払いを続けたそうだ。そしてその資金の元になったのが、今食べているこのたこ焼きだった。

ここのたこ焼きには、たくあんが入っている。それはたかしさんのお母さんが考え、たかしさんの奥様が引き継いだ、創業以来ずっと続く味だ。
その一方で、長屋は取り壊され、街の風景は変わる。皆、思い思いの家を建て始め、そしてすぐそばの空き地に競輪場が建設される。
「だからここは便利な場所でね。南口の場外馬券場にも近いし、競輪場にも近いし、良いんだよね」とたかしさんが言うと、どんなに暑くても黙々とたこ焼きを焼き続けていた奥様が「良いんだか、悪いんだか」と、たった一度だけ口を開いた。

常連さんは新聞紙に包まれたお好み焼きとたこ焼きを、お土産用に持ち帰る。
「輪ゴムが2本巻いてある方がお好み焼きね」とたかしさん。
僕たちも満足して店を出る。そして思わず、涼しいと店内にも聞こえるような大きな声を上げてしまう。
目の前に建ち並ぶ住宅からは、ここにかつて、たくさんの長屋が建ち並んでいたことは想像できない。そして向こうに見える競輪場が、かつては空き地だったということも。
あ、そう言えばと振り返り、またすぐに来ますね、というか通いますと伝えると「明日から夏休み、次開けるのは涼しくなってから」と、たかしさんは滝のような汗を拭きながら答えた。
またこの普通の味に再会できることを楽しみに、秋になるのを待とうと思う。

*ご興味のある方は、グーグルマップで立川市曙町と検索してみてください。航空自衛隊の西側にある規則正しい区画に、長屋があった頃の面影を見つけることができると思います。そして曙町の東側の奇妙な広がり方に、なぜこんなふうに境界が決められたのかと好奇心をそそられることでしょう。

取材・文・写真/波田野州平

波田野州平

映像作家。2009年より立川に暮らす。2013年、初の長編映画「TRAIL」が劇場公開される。Hei Tanakaやテニスコーツ、eastern youth吉野寿などミュージシャンのライブドキュメントを数多く撮影する。2016年まで砂川七番でギャラリー・セプチマを運営する。立川の焼肉屋なら「醍醐苑」がベストワン。
shuheihatano.com

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