「賭する人」 #3 立川源氏


「ところでお兄さん、これはいないの?」
そう言って富岡さん(仮名)は、右手の小指を立てた。

初めて立川競輪場を訪れた時、僕はこの場所に異様なものを感じていた。そして、その異様さに惹かれて、ここに通うようになったのは間違いない。ただ、それだけが原因ではない気がする。矛盾するかもしれないが、僕はこの場所を初めて訪れた時、異様さと同時に、安らぎのようなものも感じていた。

今年何度目かの春の嵐がやってきて、透き通った日差しの中をはずれ車券が舞っている。僕はいつものように食堂前の椅子に陣取り、アジフライをかじりながら、話を聞かせてくれそうなおじさんを探す。そこへビール片手にやってきて、向かいに座ったのが富岡さんだった。富岡さんは僕にビールを半分わけてくれて、そして今までひと通りやってきた競馬や競艇などの博打のことを話してくれた。その話がひと段落した時おもむろに小指を立てて、冒頭の問いを僕に向けたのだ。

富岡さんの最初の結婚は27歳の時だった。吉祥寺で声をかけた女性と付き合い、そのまま結婚した。その女性はある街の税務署長の令嬢で、結婚式はホテルオークラであげるという華やかなものだった。ふたりの間には子供が生まれ、幸せな暮らしが続いた。今思うと、ここで「どうもありがとうございました。ビールごちそうさまっす」と話を終えておけば、僕の胸中は穏やかなままだったのかもしれない。しかしそれは、もう手遅れというものだ。

富岡さんは結婚後もせっせと他の女性に声をかけ続けた。そして出会ったのが丸の内の銀行職員の女性だった。もちろん富岡さんは妻子がいることを隠して交際を続けていた。そのうちに、女性は結婚を求めるようになる。しかし富岡さんは「まあまあまあ」と真剣に取り合おうとしない。ある日、暖簾に腕押しの富岡さんを怪しんで、女性は市役所に富岡さんの住民票を取りに行く。そこで全てが発覚し、関係はご破算となる。もちろんそれは家族にも発覚し、奥さんと子供とも別れることになる。

その後、本人曰く「蒸発」を何度も繰り返したという。そのひとつひとつが詳しく語られることはなかったが、それもきっと女性とのいざこざのせいではないかと勝手に推測してしまう。ある時、仕事を求めて熱海の温泉旅館に住み込んだことがあるそうだ。そしてやはりここでも。「夏の忙しい時期が終わって、秋になって暇になると、ほら、元気が出てきちゃうじゃない」と独特の理屈を展開する富岡さん。「地元の後家さんとねんごろになっちゃってね。でさ、高校生の娘がいて、おじちゃんお小遣いちょうだいって、決まって母親がいない時におねだりしてくるんだよ。参っちゃうよね」と少しも参っていない様子で話す富岡さん。

その後は東京に戻り、下井草のアパートにひとりで暮らしながら東京無線のタクシーを20年ほど転がした。そしてそこで2度目の結婚をすることになる。
同僚からこの女性と結婚するとお金をもらえると紹介されたのが、中国人の女性だった。富岡さんと同僚3人は、成田空港で知らない男から中国行きの飛行機に乗るように言われる。そして10万円ずつ手渡されたそうだ。中国では待っていた女性たちがそれぞれ男性を選び、一緒に市役所へ行き手続きを済ませる。「何の手続きなのか全然わかんなかったよ」という、なすがままの滞在を終えて日本へ帰ると、その女性から今度は100万円が手渡されたそうだ。

日本でその女性と一緒に暮らすことはなかったと言う。すでに中国にいる子供をふたりの間に生まれた子供ということにして、無事日本国籍を取得すると別れを切り出された。こうして富岡さん2度目の結婚が成立し、すぐに2度目の離婚も成立した。そして「新しい女を紹介するから」とその中国人の元妻が連れてきたのは、同じく中国人の女子大生だった。この時富岡さんは50歳。そしてまた同じことが繰り返され、3度目の結婚と離婚が成立する。

ここまで聞いて、僕の頭の中には「丸腰」という言葉か浮かんでいた。出会ってまだ5分もたたない若造に、ここまであけすけに自分の女性遍歴を語れるものだろうか。それも武勇伝を語る時の偉そうな態度ではなく、「自分のどうしようもなさに自分でも参っちゃうんだよ、ほんとにもう」というような態度で話してくる。まだまだ一向に話が終わる気配はなく、中国人の元妻たちが池袋の違法マッサージ店で働いていたために逮捕されて、さらには強制送還され、富岡さんも参考人として21日間拘留されたことをまるで楽しい思い出のように話している。この人は一体なんなんだろう。どこまで丸裸でいるつもりなんだろうか。
お次はスナックのママとのねんごろ話が始まって、セルシオを買ってもらっただの、結婚の予定だったがママが癌で亡くなっただのと話している。

あれ、何でこの人とこんな話をして、こんなことを聞かされているのだろうと、僕の頭の中いっぱいに霧が立ち込めてくる。なので思わず話を断ち切って、「今はどうなんですか?」と聞いてみる。すると富岡さんは少し間をおいて、人差し指、中指、薬指と順番に3本の指を恥ずかしそうに立てた。ここまで来て恥ずかしがるのかと、どやしそうになったのだが、「ひとりは60歳くらいで、でもお兄さんくらいの年に見えるんだよ、化粧ってのは化けるって書くけど、ありゃほんとだね、もうひとりは介護の仕事で…」と現状報告を活き活きと話す富岡さんを見ていると、なぜだかだんだんと霧が晴れ、「最後のひとりは25歳でね、この娘が元気で…」と告げられた時には、どうぞどうぞもうお好きにしなさい、と諦めにも似た清々しい気持ちになっていた。そして奇妙なことに、もしかすると僕がこの場所に感じている安らぎとは、この「丸腰」のことなのかもしれないとすら思っていた。

ここにいる人たちは隙を見せないどころか、隙だらけでそれをちっとも隠そうとしていない。だらしがないとひとことで片付けられる彼らを、僕はどうしても片付けることができない。悪行と言ってもいいような富岡さんの所業も、彼の「人生一度きりなんだから楽しまなくちゃ」というひとことで、そうなのかもしれないと納得させられそうになる。これまで話を聞いてきた人たちもそうだったが、彼らの発する言葉には道徳や善悪を軽く飛び越える、妙な説得力がある。丸腰で生きる彼らに比べて、僕は何枚着込んで、どれだけの武器を隠し持とうとしているのだろう、と自問してしまう。「もっとありのままをさらけ出して生きてもいいんだよ、レリゴー…」という妖精のささやきすら聞こえてきそうだ。もしかしたら僕は、ディズニーランドのように、この場所が放つ魔法にかけられて、ここにいる間だけそう勘違いしているのだろうか。

「男は8000回できるんだから、お兄さんもがんばんなよ」とありがたくもない捨て台詞を残して去ろうとする富岡さんに、最後に年齢を教えてもらうと、昭和18年生まれの74歳ということだった。若々しい外見とのギャップに驚きながらも、どこかで聞き覚えがあるなと思ったその数字は、僕の父親と同じものだった。

取材・文・写真/波田野州平

波田野州平

映像作家。2009年より立川に暮らす。2013年、初の長編映画「TRAIL」が劇場公開される。Hei Tanakaやテニスコーツ、eastern youth吉野寿などミュージシャンのライブドキュメントを数多く撮影する。2016年まで砂川七番でギャラリー・セプチマを運営する。立川の焼肉屋なら「醍醐苑」がベストワン。
shuheihatano.com

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