「賭する人」#0 プロローグあるいは出走前

立川競輪場についてのドキュメンタリー映画を作ろうと思っている。とはいえ誰かに頼まれたのではなく、僕自身が勝手に思っているだけだ。だからこの映画を見たいと思っている人は現時点で僕以外に誰もいない。出演者もスタッフもいない。当然、製作のための予算なんて一円も決まっていない。繰り返すと阿保みたいだが、作りたいと思っているのは僕ひとりで、見たいと思っているのも僕ひとりだ。そんな当たり前の事実からこの連載は始まる。

立川に住んで8年になるが、競輪場を初めて訪れたのはほんの2年ほど前のことだ。
まるで遊園地のような外観のゲートをくぐると、そこには口裏を合わせたようにみんな帽子をかぶって灰色のジャンパーを着たおじさんたちがいた。おじさんたちは手元の新聞を見るために俯くか、オッズが映し出された画面を見上げるか、いずれかの姿勢で止まっている。色のある人がいない。女性の姿もほとんどない。おじさんたちは腹が減れば売店でアジフライの刺さった串を買い、ソース壺にどぶ漬けして食べる。そして尻尾を放り投げると、同じく灰色の鳩が舞い降りて来て群がる。競輪場に踏み込んでまず飛び込んできたのは、とても異様な光景だった。

2017年3月下旬の快晴の日、ハードオフのジャンクコーナで見つけたフィルムカメラを持って競輪場に取材に出かけた。まずは自分がこの場所の何に惹かれているのかを見極めようと思う。

初めて訪れて以来、僕は三ヶ月に一度くらいここを訪れ競輪を嗜むようになっていた。いつもなら入場ゲートをくぐってまず競輪新聞を買い、車券購入のためのマークシートをごそっと取って鉛筆を耳にかける。そして酒を買ってベンチに陣取り新聞を覗き込む。でもこの日は何も手に取らず、通り過ぎるおじさんたちを眺めていた。普段は近くのおじさんに話しかけて次のレース展開を尋ねたりするのだが、今日はなぜか緊張していた。それは僕がカメラを持っていたからだ。
 いきなりカメラを向けられて心地よい気分になる人がどれだけいるだろうか。その点カメラは銃に似ている。もちろん銃を向けられた経験はないが、レンズは銃口みたいだし、シャッターは引き金のような音がする。カメラひとつでこんなにも関係性が以前と変わるのかと実感していた。それにこの場所で初対面の人に「いや〜いいお天気ですねぇ。」などと気軽に競輪以外の話題を持ちかけるのも不審だ。ここはハイキングコースではないし、彼らはきのこ狩りに来たのではない。競輪をしに来ている人たちなのだ。僕は懐にあやしい機械を隠し持ちながら、改めてこの場所について考えていた。それ以外の目的はなく、純粋にその目的のためだけに人が集まる場所。では競輪とは何をすることなのだろうか。僕は競輪場のインフォメーションの女性が優しく説明してくれるのを想像しながら、できるだけ客観的にこの場所について考えてみた。

—9人の男たちが自転車で競争をします。それを金網越しに見る人たちがいます。彼らは手に車券と呼ばれる紙を握っています。その紙はお金を払うことで手に入れられます。しかし金額は決まっておらず、購入者の任意の値段がつけられます。有効期限は競争が行われている数分間だけと驚くほど短いです。まれに期限を過ぎても無効にならない紙もあり、返品するとお金が返ってきます。その金額も決まっておらず、購入額より少ない場合や、何倍にもなって返ってくる場合があります。そしてまた新発売される紙を買います。この行為がおよそ30分の間隔を置いて12回ほど繰り返されます。—

おじさんたちの顔を眺めながら考えているとあることに気がついた。それは車券を買ってもレースを見ないおじさんがいるということだ。肝心のレース中は次の予想をし、結果だけを確かめて次の車券を買う。そしてまたあることにも気づく。もしかして、ここに入場して車券を買わないでいるのは僕だけではないだろうか。そのおじさんを見ていると、僕のようにレースを見るだけで車券を買わないのは、競輪をしているとは言えないのではないか。反対にレースを見ないが車券を買っているおじさんは競輪をしていると言える気がする。レースがなければ始まらないこの場所だが、中心はレースではなく賭けるという行為にありそうだぞ、云々。

振り返ればなんと当たり前のことをずっと考えていたのかと呆れる。ただカメラを持って行ったのは良かったと思う。容易にシャッターを切れない分、ずっと考え、ずっとこの場所のことを見ていた。フィルムカメラで枚数に限りがあったのも、撮る前によく見るという行為につながったのかもしれない。よく見ている中で興味深い被写体はたくさんあった。ただ競輪場という場所全体で何が動いているのか、その目に見えない運動のようなものに気づかないと、シャッターを切っても何も写らない気がしていた。具体に近づくのはその後でもいい。とはいえ、その答えはまだまだ見い出せていない。

異様さ。それがこの場所に惹かれた理由だと思う。普段こんなにおじさんだけを一堂に見る機会はない。それも同じようなおじさんたちを。それでいて彼らはお互いに話すことはほとんどなく、それぞれがまるでお互いを見えていないように競輪だけに没頭している。競輪をするという以外の目的を持たない人たちが集まる場所。言い換えれば競輪をやらないことは許されない場所。

同じようなおじさん?
同じような服を着て、同じような姿勢で、誰が誰だか見分けがつかないおじさんたち。
いや、果たしてそうだろうか。それは僕の勝手な思い込みではないだろうか。

今回の取材でひとつ気がついたのは、僕の関心はレースや選手ではなく、それを金網越しに見ている人たち、あのおじさんたちだということだ。
この連載では、そこに迫ってみたいと思う。

取材・文・写真/波田野州平

波田野州平

映像作家。2009年より立川に暮らす。2013年、初の長編映画「TRAIL」が劇場公開される。Hei Tanakaやテニスコーツ、eastern youth吉野寿などミュージシャンのライブドキュメントを数多く撮影する。2016年まで砂川七番でギャラリー・セプチマを運営する。立川の焼肉屋なら「醍醐苑」がベストワン。
shuheihatano.com

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