石仏ディグお供えの旅〜奥多摩町編〜

路端にたたずみ、まちを見守り続ける石仏たちにお供えをして歩く旅「石仏ディグ」第5弾。

最近めっきり寒くなってきた。個人的には「晩秋」が一番気好きな季節だ。冬も好きだから、だんだんと冷たくなっていく外気にワクワクする。空気も澄んできて、景色が美しく見えるのも理由の一つだ。寒くなってくると、温泉に入りたくなる。ホカホカに温まった身体を露天で冷たい風にあたって冷やすのなんか最高に気持ちいい。


束の間の休日、温泉に思いを馳せながらやって来たのは「熱海」。
熱海と言っても、かつて新婚旅行や社員旅行の定番として賑わっていた静岡県の熱海ではなく、東京都奥多摩町の熱海だ。

熱海という地名の通り、小河内ダムが建設されるより以前この辺りには「鶴の湯温泉」という湯治場があった。歴史は古く、1356年頃から存在していたそうだ。小河内ダムの湖底に沈んでしまったが、現在は地元住民からの要望でポンプアップで温泉を汲み上げ、かつて賑わった温泉地の湯に再び浸かることが出来る。

奥多摩の熱海は、湖に出っ張った半島のような場所にある。青梅街道がトンネルでショートカットしている場所をスルーし、上り坂をのぼる。地元住民しか通らないような道なのだろうか、車とも人ともすれ違わない。どうやらここは「倉戸山」への登山道のようだ。所々に案内板が建てられている。


ちらちらと樹々や家屋の間を縫って見える湖を眼下に見ながら、もくもくと進む。奥多摩では一足先に「晩秋」に差し掛かっていて、樹々の紅葉もはじまっていた。


なんだか素朴で可愛らしいイラストの案内が建てられている横の階段をのぼり、小さな集落の中の道を抜けると、神社が現れる。ここが今回の目的地「温泉神社」だ。


かつては鶴の湯の湯壷の近くに「湯屋権現」として建てられていたが、宝暦14年に「熊野三社大権現」と改名した後、明治3年に「温泉神社」と改められた。

ちなみに、「熊野」は「くまの」と読むが、「ゆや」とも読む。これは個人的な憶測だが、当て字で「湯屋」を「熊野」としたが、明治に入って神仏分離令が出されたため、神仏習合的要素の強い熊野三社を「温泉神社」に改名したのではないだろうか。


さて、本題の石仏が、拝殿へのぼる階段横に立っている。
地蔵なのだが、なんとも漫画チックなユーモラスな顔をしている。若干藤子イズムを感じる。普通地蔵像は、左手に如意宝珠、右手に錫杖(しゃくじょう)を持っているが、この地蔵は左手に蓮華を持ち、右手にとても太い錫杖を持っている。

錫杖とは、僧が携帯する道具の一つである杖のこと。噛み砕いて言うと、上の方にいくつも輪っかがついていて、地面につく度「シャンッ」という音が聞こえてきそうな、マンガやゲームでよく見る僧侶が持っている棒。


温泉まんじゅうをお供え。温泉神社で温泉まんじゅうをお供えする、これがやりたかっただけなので、とても満足だ。

石仏好きにはたまらない石仏天国


満足感とともに、温泉神社を後にして向かったのは、「奥多摩水と緑のふれあい館」。ここは東京近代水道100周年と小河内ダム竣工40周年の記念事業として、水道局と奥多摩町の共同で建設した施設。かつての奥多摩郷土資料館跡に建設しているため、1階には郷土資料館的要素として、奥多摩の歴史や民俗資料の展示も見ることができる。


この施設の個人的な最大の見どころは、外にある。
「石碑の小径」という震えるほどワクワクする文字列。ふれあい館のまわりをぐるっと囲うように、石仏が点々と並んでいる。ここは天国だろうか。

高崎市の達磨寺にある「百庚申」

たまに「百庚申」という庚申塔ばかりがおびただしい数集められた場所があったりするが(それはそれですごく興奮する)、さまざまな信仰に基づいた石仏・石碑が集められているのは珍しい。小さいが説明板が傍らに建てられているので、石仏を知らなくても楽しめるだろう。

たくさんあるため、すべては乗せられないが、気になったものをいくつか抜粋する。


1つの石塔に地蔵を6体掘った「一石六地蔵」が2つある。これは甲州の方でよく見られるもので、関東の東側ではあまり見られない。山梨から伝わってきたものが残っているようだ。


ずんぐりとした青面金剛像がかわいい庚申塔。


「へら鮒供養塔」は比較的新しいが、なんとも奥多摩らしい供養塔だ。


こちらの「弁財天像」は少し珍しい姿をしている。普通イメージする弁天さんといえば、2本の腕で琵琶を演奏していることが多いが、この像は6本の腕に武器を持った姿で彫られている。8本の腕を持つ像はまれにある(上野の不忍池や江ノ島の弁財天など)が6本の腕というのは珍しい。


個人的に一番好きだったのが、こちらの石仏。一体なんの石仏なのか、一見するとよくわからない。地蔵像か?とも思ったが、よく見ると頭上に馬の顔っぽいものがある。ということは、馬頭観音像なのだろうか。しかし馬頭観音といえば、憤怒相で三面八臂(3つの顔に八本の腕)のものが多いが、この像はおとぼけ顔で笑いを誘う。

絶妙な表情に心奪われ、家のインテリアにしたくなった。
先ほどの温泉神社の地蔵に通ずるユーモアセンスに、奥多摩のおだやかな空気を感じる。ハロウィンも近いことだし、と温泉まんじゅうかぼちゃ餡バージョンをお供えする。

ここに石仏がこれだけあるのは、ダムに沈んでしまった集落の石仏たちを集めたものらしい。石仏観察において、「どんな場所に立っているのか」というのは楽しみの一つだ。道の辻なのか、街道沿いなのか、それだけで石仏の持つ意味や住民の思いを窺い知れる。しかし、やむを得ない事情で移動せざるを得ない石仏たちもいる。そのまま放置され、取り壊される場合も少なからずあるだろうが、こうして一カ所に集められ、大切な資料として人々の目に触れるというのは、とても喜ばしいことだ。

ユーモラスな石仏たちと出会い心がホカホカしたところで、温泉に浸かって身体もポカポカになって奥多摩を満喫したのであった。

文・写真/一楽まどか

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