石仏ディグお供えの旅 〜東大和市編〜

道端にたたずむ石仏たち。あなたのまちの、どこに・どんな石仏が建っているか意識してみたことがあるだろうか。さらにその石仏にどんな意味があるか知っているだろうか。

まちの人に「この辺に石仏はありますか?」と聞いてもポカンとした顔をされるが、「お地蔵様はありますか?」と尋ねると案外反応が返ってくる。それくらい曖昧に捉えがちな「石仏」だが、実は多様な分類がある。「お地蔵様」はその中の1つに過ぎない。それぞれの謂れや見分け方などを理解してみると、奥深い世界なのだ。

そんなマニアックすぎるかもしれない石仏の世界を紹介しがてら、日々楽しませてもらっている感謝を込めて、お供えの旅にでた。

今回は東大和市の石仏を訪ね歩く。
個人的に石仏を楽しむ上で重要視しているのが、発見するまでの過程である。石仏には「村の入口に建て、悪いものが入ってこないようにする」という意味が込められていることが多かったり、そこにいることには必ず何かしら意味がある。そういうことを頭の片隅に置きつつ石仏アンテナを張り巡らせて歩くと、まれに「おや…この辺いるぞ?」と感じることがある。武蔵大和駅の前の大通りを武蔵村山方面へ行くと、その空気感が漂ってくる。

見通しの悪いカーブの先に、ブロック塀と小さな屋根が見える。やっぱりいた。この瞬間がたまらなく快感なのだ。地元の人々が石仏を守るために作った祠代わりの囲いをみると、今でも信仰されていることが伝わってくる。

近づいてよくみると、手縫いの赤い帽子がチャーミングで、子どもがつくったのだろうか、ビーズのアクセサリーがアクセントになっている。かわいい。全体的には風化が進み、顔の造形はわからなくなってしまっているが、顔らしきものが書かれているのもまた味わい深い。

そもそもお地蔵様というのは「地蔵菩薩」のことで、仏像のグループでは「菩薩」に分類される。他に、観音菩薩や弥勒菩薩などが菩薩グループだ。お地蔵様はその中でも、最も庶民の身近に存在し、特に子どもの守護尊として信仰されてきた。


観察が済んだところで、鮎漁が解禁される初夏だけにみられる和菓子「若鮎」をお供えした。お地蔵様にも初夏を感じてほしい。

伝兵衛地蔵に別れを告げ、さらに武蔵村山方面へ進む。狭山丘陵を背にして、住宅街の中に迷い込むと、鬱蒼とした草木の奥にひっそりと佇んでいるお地蔵様を発見した。先ほどの伝兵衛地蔵よりも大きく、祠も木造でしっかりとしている。

近づいてみると、こちらも手縫いの赤い帽子を被っている。作者は同じだろうか。色あせた前掛けも素朴で惹かれるが、特に気になるのは身体に掛けられている無数の松ぼっくり。

このお地蔵様は「松っこごれ地蔵」と呼ばれていて、ここで祈願すればどんな頑固なイボも取れるといわれ、イボが取れたらお礼として「松っこごれ(松ぼっくり)」を奉納するそうだ。


イボはできていないので、代わりに笹餅をお供えする。これからもイボができませんように…。

「松っこごれ地蔵」の向かい側は高木神社の敷地になっている。あちこちにあった石仏が、開発によって移動せざるを得なくなったときに集められることが多いため、神社やお寺は石仏スポットになりやすい。高木神社の参道横にもその集められた石仏たちが並んでいる。

今度はお地蔵様ではない。興味がない人がみると「お墓かな?」くらいに思ってスルーしてしまいそうだが、石仏界では有名どころな「馬頭観音」だ。これは文字だけが刻まれている「文字塔」という形。馬頭観音菩薩の像が刻まれたタイプもあって、そちらのほうがレア度が高い。

馬頭観音は、馬の守護尊として信仰され、その昔馬での往来が盛んな街道筋に建てられ道中の安全を願って信仰されることが多かった。この場所に馬頭観音が集まっているのは、近くに旧青梅街道を中心とした街道筋があったためではないだろうか。交通手段が車へと移った今、道路の拡張で追いやられてしまったのかもしれない。
(というような、推理や妄想をするのが石仏の嗜み方だと個人的には思っている。)

馬頭観音と供養塔の間にたつ、こちらの石仏。これは「庚申塔」と呼ばれるもので、マイフェイバリット石仏の一つだ。

庚申信仰というのは、60日に一度訪れる庚申の日の夜、寝ている間に身体の中から「三尸(さんし)」という虫が出てきて、その人の悪行を帝釈天に報告にいく、という謂れがあり、それを防ぐために眠らずに一夜を過ごすという、道教の教えに基づくものだ。
庚申の日には村人達が集まって、眠らないように夜通し宴会を開いていたらしい。そして、その庚申の日を3年間(計18回)続けることができれば、記念として建立するのが庚申塔だ。

ただ宴会したいだけなのか、信仰心なのかもうよくわからない感じが人間臭くてなぜだか惹かれる。

庚申の本尊とされる「青面金剛」が刻まれたものは、文字塔よりも少ないため見つけると嬉しくなる。さらにこちらは庚申塔を構成するすべての要素が盛り込まれている完全体に近い。

青面金剛像と、その足元に踏みつけられた餓鬼、更にその下の三猿(見ざる聞かざる言わざる)、頭上の月と太陽。これが庚申塔構成要素だ。

庚申塔を見るとテンションが上ってしまう体質のため、観察と撮影に夢中でお供えを忘れていることにも気がつかずに、意気揚々とこの場を後にしてしまった。

そんなミスは一旦忘れて今度は東へ進む。静かな住宅街の中に、三方向を道路で囲まれた浮島のような場所が現れる。正面に回り込むと、鳥居が建てられ、その奥に祠がある。この漂うワクワク感、たまらない。中を覗き込んでみると、そこには2基の庚申塔が建っていた。

片方は風化してわかりにくいが、両方共青面金剛が刻まれた立派な庚申塔だ。風化してしまっている左側の庚申塔は、多摩湖が建設される際、湖底に沈む地域からこの地に移されてきたものらしい。

村とともに沈ませるのではなく、自分たちとともに移り住まわせた村人たちの信仰心と、石仏に対して親しんできた時間が息づいている。

住宅街の中にポッカリと浮かぶ様に建つ2基の庚申塔は、360度を住民たちに守られながら、これからも長い時間を過ごしていくのだろう。遠い未来とこの石仏達の行く末を考えながら、末永くここにいて欲しいという思いを込めて、麩まんじゅうをお供えする。

祠の中には入れないため、こちらに。(さすがにこれは回収した)

日本人は宗教に対して曖昧なことが多い。お寺なのか神社なのかの区別がついていなかったり、クリスマスやハロウィンを楽しんだり。それはもともとこの国独自の宗教である神道が八百万もの神様がいる多神教だからというのも理由の一つだろう。神やら仏やらが多少増えようが対して変わらない。

個人的には、仏教だろうが神道だろうが道教だろうがキリスト教だろうがなんでもござれ!なスタンスが実は嫌いではない。日本人らしくて、むしろ好きだったりもする。そういう、良い意味での適当さが一番よく現れているのが「民間信仰」だと思っている。「由緒正しくない」ところに親近感が湧く。

「こうでなければならない」という規律のようなものはなく、生活する上での心の拠り所なのだろう。そんな民間信仰の一つが形となって見られるのが「石仏」なのだ。

日常生活に存在する、「路端の信仰心」にほんの少しばかり意識をかたむけて、それを取り巻く歴史や人々の暮らしに思いを馳せてみるのもまた楽しい。

 

今回のお供え物購入店

菓子処あかぎ

東大和市仲原2-15-16
9:00〜19:00 年中無休
042-567-3064

写真・文/一楽まどか

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