石仏ディグお供えの旅〜東村山市編〜


まちを見守り続ける石仏たちにお供えをして歩く旅「石仏ディグ」第6弾。
からっ風が吹きすさぶ冷たい季節でも表情を変えずに路端にたたずむ石仏たちに、今回も愛を注ぐ。

今回は東村山へ行くことにした。東村山といえば、立川に引っ越してきた初日、運び込んだ段ボール箱もそのままに「ちょっと探索でも」と自転車にまたがり向かった思い出深いまちだ。都内唯一の国宝木造建造物をはじめ、板碑保存館など珍しい資料館があり、歴史散策好きはもれなく楽しめる。かくいう私も探索がやめられず、その日はダンボールに囲まれ、寝袋に包まって寝ることになってしまった。

今回のお供え物購入店

まずは、石仏たちへお供えするための和菓子を買いに行く。東村山には老舗和菓子店が2軒あるため、迷った挙句どちらにも行くことに。

1876年創業の「餅萬 西口本店」。東村山出身の志村けんさんのギャグにちなんだ商品が有名だ。店主が志村けんさんと同級生らしい。


「清水屋」は、千体地蔵堂の近くにあり、地蔵堂をモチーフにした商品がたくさんある。90年以上の歴史があり、店内に飾ってあるこの箱にお菓子を詰めて歩き売りする行商からはじまったそうだ。


まずは「正福寺」へ。引っ越し初日に東村山に来たのも、この「千体地蔵堂」を観たかったから。屋根がくいっと反り上がっているのがたまらない。

堂内は、通常見学不可だが、地蔵まつりのある11月3日をはじめ、年に3回ほど一般公開される。内部には、本尊の地蔵菩薩の他、屋根までびっしりと小地蔵が安置されているらしい。来年こそは観に行きたい。


千体地蔵堂に「千体地蔵堂まんじゅう」をお供えするのが今回の大きな目的の一つ。ちなみにこの饅頭本体にはデフォルメされた地蔵堂が描かれている。とてもかわいい。


境内の墓地への入口に立つ六地蔵には「願かけどらやき」をお供え。六体に対して一つで申し訳ない。

墓地内に足を踏み入れ、辺りを見回すと墓石以外に石仏が散見される。各家ごとにある程度まとまって墓石が建てられているのは親族が集まりやすくするためだろうか。


鈴木家ゾーンで発見した「閻魔大王像」。日本人で知らない人はいないのではないかと思われる「閻魔大王」だが、こうして石仏になっているのは珍しい。

しかもそれが千体地蔵堂がある正福寺の墓地に立っているというのは、なんとも粋だ。というのも、日本仏教において、閻魔と地蔵菩薩は同一の存在とされているからだ。

死後の裁判を司るのは閻魔大王だけではなく、他に9人の王がいて「十王」と呼ばれる。それぞれに「本地」とよばれる化身となる仏が存在する。


生きているうちに閻魔大王に媚を売っておくため、「千体地蔵堂最中」をお供え。ぜひ極楽浄土へ!


正福寺を後にし、東村山駅の方へと向かう。細い路地に入ると住宅街の一角に鳥居とお堂が現れる。


ここは「猿田彦神社」。猿田彦というのは、古事記にも登場する神様で、アマテラスの孫であるニニギノミコトが地上へ下りる際に道案内をしたとされることから「道の神」として信仰されている。


この神社の本尊は、「青面金剛」。石仏ディグシリーズで毎回登場し、私が愛してやまない「庚申塔」なのだ。

なぜ本尊が青面金剛なのに「猿田彦神社」なのか。
青面金剛は、「庚申信仰」の本尊とされる。庚申の申は干支の「サル」のことだ(庚申塔には「三猿」が彫られていることが多い)。そして、猿田彦の「サル」。この共通項を辿って結び付けられたと考えられている。もちろんただそれだけではなくて、道の神とされる猿田彦と街道沿いや道の辻に置かれることが多かった庚申塔の2つが、道中や村の安全を祈願するという意味で信仰対象が似通っていた点も理由の一つだろう。

ちなみに猿田彦は神道を由来とし、青面金剛は仏教を由来としている。


こちらには、東村山のゆるキャラ「ひがっしー」の焼印が押された「ひがっしーまんじゅう」をお供え。あんこがたっぷりの薄皮なのが災いして、ひがっしーがよく見えないのがおちゃめ。


猿田彦神社から西武新宿線に沿って北上すると、線路のすぐ横に白山神社がある。
鳥居の前の小さな狛犬がかわいく迎えてくれるが、その奥の新しめな狛犬が睨みをきかせていて少し怖い。

白山神社の奥に小さな祠があり、その中に「牛頭天王像」が祀られている。神仏集合の神とされ、神道の神スサノオと同一とされている。京都の八坂神社の主祭神として有名だ。

ちなみにスサノオは、アマテラスの弟。「ヤマタノオロチ伝説」の英雄としてしられている。


牛頭天王像は関東ではあまり見られない。特にこの像は、明治初めに井戸から発見されたらしいのだが、そのおかげかとても状態が良い。ガラス越しに覗き込んでじっくり観察。


牛頭天王は疫病除けや魔除けの神と知られているが、元はこの牛頭天王自身が疫病をはやらせる「行疫神」なのだ。そんな恐ろしい神に「だっふんだァーどら焼き」というふざけた名前の和菓子をお供えしても良いものか、と若干躊躇しつつもお供えする。疫病がはやりませんように!

 
今回の隠れたテーマは「化身と習合」だった。閻魔と地蔵、スサノオと牛頭天王、青面金剛と猿田彦。乱暴な言い方をすると「こじつけ」なのだが、様々な結びつきで2つの存在を同一とする考え方が面白い。

思いつきなのか、考えあぐねた結果なのかは分からないが、「一緒にしちゃえ!」という良い意味で適当な感じが民間信仰っぽくて好きだ。そんな「こじつけ」的な考え方も時を経て、文化になる。それが信仰心のすごいところだと思う。

民間信仰は地域によっても解釈違いがあり、正解が無いのが正解なのだ。一つ新しいことを知ると、芋づる式にいろんなものと結びつく。離れられなくなる面白さが病みつきになる。それが石仏の愛おしいところだったりするのだ。

写真・文/一楽まどか

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