しらない祭り、もらえなかったバナナ、夏のおわり。

 地方出身者ほど「祭り」に対して興味が希薄な気がする。

 それは「祭り」と「地元」というイメージが根源的に強く(これも地方出身者ほど)結びついているからで、理由はどうあれ故郷を置いて流れてきた後天的都市生活者はそうしたローカルな賑わいに対してどことなく所在のなさというか後ろめたさをやんわりと感じているのだ。と、地方出身の私は思う。

 神輿やら、縁日やら、所謂オールドスクールな地域の祭りは基本的に地元住民のためのものである。それらが派手な花火大会や、趣向を凝らしイベント化しているものでない限りは、極めて内内のものだ。SNSでの開催発信も特にしないし、外部へ向けた集客なんてことももちろんしない。メディアツールは近所の電柱に貼られたチラシのみ、なんてことも珍しくない。時期が来れば自動的にいつもの場所で開催され、いつもの人々が集まり、いつもの手順で進行し、そして終わる。それが地元の祭りだ。

 「昔ながらの農家や職人が多い地域だと、決まった休日なんかねぇからよ。大手を降って昼からワイワイみんなで酒を飲むために祭りはあるんだよ」

 本当か嘘か分からない話をしてくれたのは、その街で三世代続くお茶屋を営むご主人だった。

 この夏は、仕事の都合で東京北西部のある街に何度となく通いつめる日々を送っていた。記録的かつ殺人的な酷暑の中での街の取材。暑さもさることながら路線が満足に整備されてない街では(東京にだって駅のない市町村があるのだ)歩くかレンタサイクルしか小回りのきく移動手段がない。逃げ込むように入ったお茶屋さんで冷たい緑茶を頂いていた時に祭りの話を聞いた。

 「この辺は古い家が多い上に交通の便も良くねぇから、あんまり外とは交流しねぇんだよな。よそ者にはちょっと厳しいし。でも、祭りの時は別。地域の垣根がなくなるのは祭りの時くらいかもなぁ」
 
 後日、仕事半分興味半分でその祭りに一人で訪れた。祭りは7月下旬、土日の二日間で行われ、自治体の境界線を跨いだ青梅街道が舞台となる。日曜日の昼下がり、最寄り駅前で例によって自転車をレンタルし、適当に見当をつけて走る。特に場所の目星をつけずにやってきたが、人の流れに沿って行けばすぐに祭りのストリートに行きついた。いつもは眠る老犬のように静かな通りも、この日ばかりは華やかに息をしている。車両通行止めの通りに神輿や山車が入り乱れ、見物客はガードレールや地べたに腰掛ける。脈絡なくインディペンデントな出店がぽつぽつと並んでいる。

 この街のことはよく知らないし、住んだこともない。知り合いもいないし、思い入れもない。それでも、傍目から見てこの祭りが地元住民にとって長年大事に扱われてきたものであることは、行き交う人々の表情が物語っていた。決して派手ではないが、淡々と穏やかに繰り返され続けてきたのだろう。土着的な匂いと手触りのある、夏の儀式。














 消防団の放水で道には小さな虹がかかっていた。

 神輿はそれぞれの神社に納められるのか、青梅街道で競り合った後それぞれの路地へと潜り込む。担ぎ手と共にその近隣住民と見られる人々は自然と50人程の集合体となり道を行く。家族や親戚同士が多いことは想像にたやすく、担ぎ手以外は皆だべりながらゆるい空気で神輿は進む。なんとなく結末が気になり、最後尾に紛れて後を追った。

 細い路地を進めば進むほど周辺には古い家が増え、周りの人々もそれに応じて親密度を増していく。輪郭を帯びていく家系図のようだ。

 ある地点で休憩となり、道に神輿が降ろされた。人々も思い思いの場所でくつろぎ出す。談笑する人々の中で所在なく突っ立っていたら、向こうの方から発泡スチロール箱を持った数人の女性がやってきた。見れば差し入れだろうか、バナナを配っている。

 子どもに、老人に、夫婦に、若者に、順番に配られるバナナ。やがて目の前にきた配給バナナの女性はチロリと私の顔を見て、無言で通り過ぎていった。一帯で休憩するすべての人にバナナが行き渡り、皆ムシャリムシャリと剥いては食べ始めた。

 今この街でバナナを食べていないのは私だけじゃないか。

 気まずさがじわじわと全身を巡った。ちゃんと見られている。バレてる。この街の人間じゃないことが。誰一人として目は合わない。皆笑顔だ。しかし目は合わない。声もかからない。出没場所を間違えたユウレイみたいだ。時間が経てば経つほど、自分のそのひどく不気味で招かれざる存在感が深まるような気がして、逃げるようにその路地を後にした。

 大通りに戻るとまだ祭りは続いていた。楽しげに嬌声をあげる人々を横目にレンタサイクルのペダルを強く踏み、自分の住む街へと帰った。

文・写真/松岡真吾

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