裏・仲見世商店街に佇む町田最古酒場へ

町田の仲見世商店街は夜になると店舗の多くはシャッターが降り、点々と酒場の明かりが灯り出す。戦後のムード色濃いこの老舗アーケード商店街は道幅2メートル全長100メートルほど、「西のアメ横」とも呼ばれ飲食店や雑貨が高密度にひしめき合い創業50年、60年の店もちらほらと混じる。

この町田仲見世商店街、入り口から出口が見通せるほど直線の短いアーケードなため初見では見落としがちだが、まるで影のようにひっそりと路地裏にもうひとつの商店街が存在する。

「仲見世飲食街」というこの通りは剥き出しの配管、屋外共同便所、薄暗いネオンが相まって仄かなブレードランナー的情緒を漂わせるストリートである。日中は大学生やカップルが食べ歩きを楽しむ社交的な仲見世商店街とは気持ち良いくらい真逆の鈍くギラついたスタンスを醸し出すこの通りには、お世辞にも入りやすいとは言えない面構えの重々しい店たちが妖しい光を薄く漏らしながら軒を連ねている。

「表の暖簾には始業昭和30年、って書いてあるけど、実際はもっと古いんだ。町田の中でうちより昔からやってた酒場は聞いたことがねぇけどな」と話すのは『すみれ』のマスター。商店街の一角に溶け込むように佇むこの店は商店街の誕生と同時期に生まれたらしく、マスターの母親が40年以上切り盛りしていたという。当時は造船所で仕事をしていたマスターは母親が高齢を理由に店を畳むと言った際「なら俺が継ぐよ」と手を挙げた。

「地元もこの近所で、子供の頃からこの店には入り浸ってたから。なくなっちゃうっつうのは、どうもね」

昔ながらの「8トラ」カラオケ用マイク穴が残るカウンター8席と小上がりだけの店内は雑多な飴色で、いわゆる古き良き正統派老舗酒場とは少し毛色が異なるがそれでも料理が抜群に美味しいのがこの店の特徴。マスターの母親が料理に凝る人だったのが想像できる丁寧な味付けだ。すすけたお品書きの中からネギ入卵焼きを注文すると「それ正解」と隣の常連さんに褒められた。

気づけばひとり、またひとりと客が増え、いつの間にか店内は常連と一見が入り混じる満席状態となっていた。店に入る前は地元の人々に古くから愛されている店なのかと思っていたが、案外若いお客さんや恐る恐る入ってくる初めてのお客さんも多いという。「町田でこういう店も少ねぇからなぁ。珍しいんだろ。あとウチはカラオケもあるし」とマスター。各々グラスを傾けながら会話は気ままに転がっていく。

「駅前にあんなにビルが建つ前のこの辺りは全部田んぼで。道のそこら中でヒキガエルが車に轢かれてたよ」
「駅のあっち側(南口)のラブホ街も昔は田んぼで、その中に赤線があったんだよ。だから遊びに行くとき男共は『ちょっと田んぼ行ってくる』なんて言ってね」
「国鉄原町田駅と小田急新原町田駅があった頃、その間の通りは『駆け足通り』って呼ばれてて。ヘンに距離があるもんだから毎朝サラリーマンがヒーヒー走ってたんだ」
「薬師池公園のハスの花、咲く時ポンって音がするなんて言われてるけど、ありゃウソだよ…」
「この前店に来た若ぇのは、僕はユーチューバーだとかなんだか言って、なんか撮って帰ってったな」
「今日、いとこが死んじゃってよ。赤羽じゃ有名な歌手だったんだぜ」
「ここのマスターは昔、競艇で3000万当てたことがあって…」

最後の話とか滅茶苦茶気になるのだが、酒場の会話は止めどなく流れてゆく。
とりとめのない昔話や乾いた駄話でゆるく軽やかに夜が更ける。

最後に、マスター、町田の街は昔と比べてどうですかね? と訊いてみた。
「そりゃ変わったね。でもまぁ、古いもんが残ったり、なくなって新しいのがやってきたりするのは当たり前だから。そういう意味ではずっと一緒だよ」

鉛色の酔い処に安易なノスタルジーは必要ないようだ。

写真・文/松岡真吾

小料理すみれ

東京都町田市原町田4-5-19/042-723-3022

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