街を去るもの残るもの-府中・オケラ街道-

東京は居心地のよい街だと思っている。
なので東京は消費の象徴、ドライで空洞的、といった論調を見かけるといまいち共感しづらい。

「東京は思い入れができない」
「移り変わりが激しい」

そういった街の浅薄さは必ずしも否定されるべきものではないように思う。

昨日まで大好きだった街も明日になれば二度と行きたくない街になるかもしれない。
だが、郊外や田舎の街で暮らしていたら簡単にその輪からは抜け出せない。仕事や家族があれば尚更だ。
レトロな街並みや山や川も、1日2日触れ合う程度なら素敵な思い出だが、5年10年ぶっ続けで暮らしてみれば毎日笑顔ではいられない。

東京なら15分も歩けば違う街に着いてしまう。
それがいい。重苦しくない。
気に入らなければ隣町へ移ればいい。

ただ、その代わり変化の「見えない速さ」には慣れなければいけない。

東京はいつの間にかよくモノがなくなる。
それはお気に入りの店である場合もあれば風景の場合もある。
文化の場合もあれば人の場合もある。
かつては手で触れられる温度と輪郭で存在していたものが突然、もしくは徐々に、本当にあったかどうかも疑わしいくらいに忽然と消えてしまったりする。

消えてしまう、まではどこの街でもあることだが、東京の場合は同じ場所に何食わぬ顔で別の「何か」が居座っていたりする。
いろんな事情と思惑が人工的に入り乱れている。

それが寂しい時もあれば、気味が悪い時もある。
同時に面白くもあるし、気安さもある。

「今はこうだけど今後も絶対ではない」という信用ならないあやふやなスタンス。
現在進行形かつ不可逆な変化は何かと見かけることが多い。

例えば府中の東京競馬場である。

東京競馬場は1907年(明治40年)開設、かつては目黒にあったという。だが目黒の都市化が進む一方、競馬人気により敷地拡張の必要に迫られ、さらに街の熱心な誘致もあったことから府中に移転された。

その後、どのような様相でそれぞれの時代の人々が集ったのかはわからない。ただ平成30年現在、東京競馬場に世間一般が抱くようなギャンブル場の仄暗い陰鬱なムードはない。むしろあるのは健全さと快活さ。家族連れも多く、楽しそうに笑いあう女性グループまで見受けられる。敷地内に満ちる親しみやすい清潔な空気感はアミューズメントパークようでもありイオンのようでもある。タレントを起用したキャッチーな広告が功を奏しているのだろうか。賭場というより大きな公園のような印象だ。

ぽつりぽつりと見受けられるネイティブ・ギャンブラーたちは、群れるわけでも大声を出すわけでもなく、ひっそりと自らの持ち場で粛々と新聞と画面を睨んでいる。

どちらかというと、少し居心地が悪そうに。

陽的なスポットへのイメージ転換を図り、おそらくはそれが成功したのであろう東京競馬場。
その洗練された「内部」で慣らされた目のままで西門、南武線府中本町駅方面の「敷地外」へ一歩出ると強烈な風景に出くわすことになる。

『オケラ街道』という俗称で呼ばれるこの飲屋街は東京競馬馬の開催日にのみ出現する。その名の通り、ギャンブル帰りの人々が勝ったお金、もしくは懐に残ったお金をここでアルコールに変え散財していく。
大衆酒場的な店構えをしているが値段が飛び抜けて安いわけでもない。酒や料理は旨いが、何も特別なものではない。
ただ、最終レースが終わり陽が傾くのと同時に人がワラリワラリと集まる。露天と高架下屋外席の間を焼き物の煙がモウモウと立ち昇る。
この一角の周りに店はない(むしろ閑静な住宅街だ)ので、路上で異物のように浮かび上がるようにこの酒宴の光景は非現実的な趣さえある。フィクショナルな、舞台美術と画角の外のような、ちぐはぐな風景。

意図的・人工的に猥雑さを排除した競馬場も、一歩外のナマの文化までを変えるのはまだ時間がかかりそうだ。

京成立石の飲屋街が近々で大幅に建て替えられるという話を聞く。立石以外でも、オリンピックの影響等で街の景色はこれからもぐるぐると変わっていくのだろう。このオケラ街道だってかつてはもっと広域だったという。何年先まで存在しているかはわからない。

だが古いものを懐かしみ、なくなるものをいちいち悲しんでいても都市生活者はしょうがない。
野毛の都橋商店街だって(東京じゃないが)今でこそレトロな飲屋街といった立ち位置で扱われてはいるが、もともと昭和39年の東京オリンピックの再開発で露店や屋台を撤去し、ひとまとめに収容した結果できたものである。

あるものは出来るだけ楽しむ。なくなったら次へ行く。
サバサバした関係でいたいものだ。

文・写真/松岡真吾

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